小泉孝太郎の学歴と学生時代を調査!なぜ慶応じゃなかったのか、なぜ夜学だったのか調べてみた

俳優の小泉孝太郎さんの学歴と学生時代について調査しました。

なぜ慶応じゃなかったのか、なぜ夜学へ進学したのでしょうか。

目次

小泉孝太郎の学歴と学生時代を調査

小泉孝太郎さんの学歴はというとこちらです。

大学:日本大学経済学部 夜間部 中退
高校:関東学院六浦高校
中学校:関東学院六浦中学校
小学校:関東学院六浦小学校

小学校から高校までは私立の学校でエスカレート式に進学されているんですね。

そして2浪の末に進学したのが日本大学経済学部の夜間部です。

では、小学校・中学校・高校・大学とエピソードと合わせて見てみましょう。

関東学院六浦小学校

小泉孝太郎さんは、神奈川県横浜市金沢区にある関東学院六浦小学校を卒業されています。

小学校在学中に少年野球を始めています。

私立の小学校なので受験をして入学しています。

お父さんである小泉純一郎さんは慶應義塾大学の出身でした。

慶応義塾大学出身の方はお子さんも幼稚舎から入学させることが多いと言います。

小泉孝太郎さんが別な私立小学校を受験し入学しているのはなぜでしょう。

①受けたけれど落ちた
②家庭の子育て方針と合わなかった

どういった理由なのでしょう。

まず、これまでのインタビューなどで明確な理由を話されたことはありません。

ただ上記のような理由が考えられるかもしれませんね、ひとつずつ見てみましょう!

受けたけれど落ちた

これに関しては、元首相である安倍晋三氏の例もあります。

まず、慶応は親族が慶応卒であることが有利らしいです。

安倍晋三さんは父方の祖父が衆議院議員の安倍寛氏、母方の祖父が岸信介という政界のサラブレッドです。

しかし、慶応受験に関しては小・中・高と受験するも入学の機会には至らなかったと言います。

ないことではない、ということですね。

家庭の子育て方針と合わなかった

これまで番組やインタビューでは元首相である小泉純一郎さんはとても厳しい子育て方針だとお話しされています。

例えば親から与えるお小遣いは500円のみで、お客さんなんかからお小遣いをいただく機会があっても断っていたとか。

その教育方針と慶応が合わなかったのかというと定かではありません。

ただそれだけしっかりとした方針を立てて子育てをされているところからすると合う・合わないはあったのかもしれませんね。

関東学院六浦中学校

小学校で入学した関東学院六浦小学校から内部進学で関東学院六浦中学校に上がっています。

この頃の小泉孝太郎さんは野球に打ち込んでいました。

レギュラー出場して活躍されていたそうです。

関東学院六浦高校

関東学院六浦高校へと進学します。

中学校進学時と同様に内部進学、つまりエスカレーター方式でした。

小学校時代に始めた少年野球から中学も高校も野球部一貫。

高校時代には野球漬けの日々で甲子園を目指していました。

しかし3年生の夏、椎間板ヘルニアを患い地方予選で腰を痛めてしまうのです。

泣く泣くベンチに入ることもできずにいました。

そこで野球を断念することになり、この経験は小泉孝太郎さんにとってかなり心にダメージを残したようです。

後にこんな風に話していました。

いまだに試合の夢を見るんです。「これに勝てば甲子園に行けるぞ!」というシーンで目が覚める。自分のなかにまだ完全に消えていない悔しさや後悔があるのかもしれません」

このエピソードは胸にぐっときますね。

しかし、そこから先、野球経験がリンクする時も来るんです。

高校時代の野球経験を買われて、2008年には「速報!甲子園の道」「熱闘甲子園」のキャスターに起用されています。

ちなみに、同じ年に優勝した横浜高校が当時話題でした。松坂投手が高校球児として活躍した頃です。

日本大学経済 学部 夜間部 中退

大学は日本大学経済学部の夜間部に進学しています。

高校卒業後、2浪を経ての入学でした。

小泉孝太郎さんは小・中・高と私立の一貫校に通ってきました。

多くの生徒はそのまま関東学院大学に進学するところでもあります。

けれど、小泉孝太郎さんは敢えてそのレールから離れることにしました。

当時を以下のように振り返っています。

「大学に進んで、就活して――というレールから一呼吸置きたかったんです。親には申し訳なかったのですが、いったん立ち止まって考えたかった。高校3年のときの担任がすごく熱心な女性の先生で、親身になって進路について考えてくださって、心の支えになってくれました。「小泉が一番没頭できたり、熱中できたり、一生懸命になれるものを探しなさい」と」

Yahoo!ニュース 過去のインタビュー記事より

また、大学進学にあたり父・小泉純一郎さんは以下のようにコメントされたそうです。

「無駄に大学の4年間を過ごすんだったら、行かなくてもいい。やりたいことがあれば挑戦すればいい」

背中を押してくれるお父さん、素敵ですよね。

やはり小泉純一郎さんも孝太郎さんも確固たる考えを持ってる点で共通していますね。

小泉孝太郎さんは夜学に通ったことで、同時に仕事をいくつかされていました。

その一部がこちらです。

・ニッカポッカで解体作業
・1日中パンにバナナを乗せ続ける

少なくとも祖父・父と政治家一家できている小泉家ですが、ご先祖さまにはとび職の方がいたそうです。

そんなところからとび職への憧れがあったそうです。

22歳の時には「第2の石原裕次郎を探すオーディション」を受けています。

1次選考を通ったものの2次選考では身長180センチ以上という条件に届かず落選してしまいました。

※小泉孝太郎さんは177㎝です。惜しいですね!

そして2001年お父さんの小泉純一郎さんが総理大臣に就任されます。

小泉孝太郎さんは1978年生まれなので、この時23歳ですね。

2浪していることを思えば大学3年生でしょうか。

お父さんの小泉純一郎さんの総理大臣就任により話題性がとても高まり複数の芸能事務所が孝太郎さんをスカウトしたのです。

これもめぐり合わせですね。

そして芸能界入りを決意した孝太郎さんは大学を中退されました。

「大学には行きましたが、中退し、思い切って芸能界に入る挑戦をしました。いま考えても、あの父じゃなかったら許されなかったでしょうね。総理大臣の息子が芸能界に入るなんて、普通はあり得ないですよね。でも父は「孝太郎の人生だからやってみなさい」と言ってくれました」

Yahoo!ニュース 過去のインタビュー記事より

そして24歳だった2002年にテレビドラマ「初体験」で俳優としてデビューしています。

そこからは品性あふれる落ち着いたルックスで地位を築いていき今に至っています。

まとめ:小泉孝太郎の学歴と学生時代を調査!なぜ慶応じゃなかったのか、なぜ夜学だったのか調べてみた

小泉孝太郎さんの学歴と学生時代について調査しました。

慶応に進学しなかったことにも、あえての夜学に進学したことにも意志があるように感じます。

そして意志の強さはどうやらお父さんである小泉純一郎さんと似たポイントのようです。

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